競争力を抑えることで利益を生む企業戦略
拙稿 Buchholz, W. and Hattori, K. (2026) “Strategic Self-Handicapping to Induce Rival Mergers” の簡単な解説。
研究の背景
企業は通常、生産能力を高め、販路を広げ、様々なコストをカットすることで競争力を高めようとします。反対に、工場を閉鎖したり、少なからず利益の出ている市場から撤退したりする企業を見ると、何か苦しい事情があるのだろう、と想像します。
本研究では、自らの競争力を落とすことが、業界再編(ライバル企業の合併)を促し、結果として自社の利益を増やすことにつながる可能性について理論的に考察します。
特に、合併する側ではなく、合併の外側にいる企業の行動に注目します。
その出発点は、合併をめぐる少し意外な問題です。ライバル同士が合併すると、価格を吊り上げるために生産量を絞りますが、合併に参加しなかった企業(アウトサイダー)は、市場価格の上昇から恩恵を受け、生産を増やしやすくなります。合併によって期待されるこのアウトサイダーの増産は、合併企業の利益を奪うため、合併する企業自身にとっては、合併が不採算になることがあります。これが「合併パラドックス」と呼ばれる問題です。
合併の外側にいる企業(アウトサイダー)にとって、ライバル同士の合併は利益を得る機会です。ところが、自分が合併後に大きく増産できることが、その合併を妨げてしまう。それなら、増産できる余地をあえて手放すことで、ライバルに合併を選ばせられないか。本研究の問いはここにあります。
何をやったのか
三つの企業が競争する市場を考え、そのうち二社が合併するかどうかを選ぶ理論モデルを分析します。残る一社は、合併の判断に先立って、自らの競争力を下げる行動を選べます。二社はその行動を見て合併を判断し、その後、各社が生産・販売する量を決めて競争します。
重要なのは、「合併しても増産しません」という口約束ではなく、後から簡単には元に戻せない行動を取ることです。例えば、生産設備の処分、販売網の売却、生産費用を高める長期契約などが考えられます。ライバル企業が、合併後の競争は実際に弱まると予想できなければ、合併の判断は変わりません。
論文では、このように自らに不利な制約を課す行動を「セルフ・ハンディキャッピング」と呼びます。一般的な仕組みを整理したうえで、生産能力の削減、市場からの撤退、一単位あたりの生産費用の上昇という三つの具体例を分析します。さらに、合併によってライバル企業の生産効率が高まる場合も考えます。
何がわかったのか
第一に、自分の競争力を落としても、それによってライバルの合併を実現できれば、利益が増えることがあります。
例えば、生産能力に上限を設けると、合併後にどれだけ増産できるかが制限されます。ライバル企業にとっては、自分たちが生産を抑えても、その分の顧客を外側の企業に大きく奪われる心配が小さくなります。その結果、それまでは不採算だった合併が成立します。
しかも、生産能力を削減した企業が、合併前より多く生産する場合があります。手放したのは、合併後にさらに大きく増産するための余裕です。その余裕を手放したからこそ合併が実現し、実際の生産量も利益も増えるのです。
二つの市場で事業を営む企業が、一方の利益の出ている市場から撤退する場合にも、同じ発想が働きます。残されたライバル企業にとって合併が魅力的になり、合併が成立すれば、撤退した企業も、もう一方の市場では競争が緩む恩恵を受けられます。その利益が、撤退によって失う利益を上回ることがあります。
費用を高める場合も同様です。下の図では、一単位あたりの費用が約5に達するとライバルの合併が成立し、当該企業の利益が跳ね上がります。ただし、その後も費用を上げ続ければ利益は減ります。基本モデルでは、合併を誘発することが有利なら、企業は合併に必要な最小限のハンディキャップを選びます。

横軸は企業1の一単位あたりの生産費用です。上段はライバル二社の合併による利益の増減、下段は合併の成否を織り込んだ企業1の利益を示しています。
第二に、ライバルの合併によって生産効率が高まることが、外側の企業にも利益をもたらす場合があります。
合併企業の費用が下がれば、それだけ手ごわい競争相手になります。一方、合併自体の採算がよくなるため、外側の企業は、合併を促すために自らをそれほど弱める必要がなくなります。費用を高めるモデルでは、この負担軽減が、強くなったライバルと競争する不利益を上回り、合併を誘発した企業の利益を高めます。
何の役に立つのか
まず、企業の競争力を弱める行動は、単なる失敗や経営不振の結果とは限りません。目の前の競争で少し不利になっても、ライバル企業が合併を選ぶようになれば、その後の競争環境は自社に有利になりえます。企業の行動を理解するには、現在の市場構造の中で何を得るかだけでなく、市場構造そのものをどう変えようとしているかにも目を向ける必要があります。
競争政策にとっては、合併前に観察される企業の生産能力や市場での存在感を、単に与えられた条件として扱わないことが重要です。合併に先立つ工場閉鎖や市場撤退が、その合併を見越して選ばれていた可能性があります。合併の見込みがなくても、その企業は同じ行動を取っていたのか。この問いが、合併の影響を評価する際に意味を持ちます。
また、企業の利益が増えることと、社会全体がよくなることは同じではありません。合併による効率性の向上や、ハンディキャップによる生産上の便益がない基本ケースでは、競争が緩んで価格が上昇し、消費者余剰も総余剰も減少します。一方で、ハンディキャップが既に実施されてしまった後では、合併を認めないだけで以前の競争状態に戻せるとは限りません。合併だけでなく、それに先立つ企業行動も含めて評価する必要があります。
本研究は、特定の企業が実際にこの目的で工場を閉鎖したことなどを示す実証研究ではなく、そうした戦略が成立する仕組みを明らかにする理論研究です。自らの競争力を高めることだけが、利益を増やす方法とは限らない。ときには、自らの競争力を落とすことが、ライバルの選択を変える手段になるのです。
本研究は、JSPS科研費 24K04912 の助成を受けています。