ガラス張りのリーダー: なぜ「一番デキる人」をリーダーに選ぶと協力が壊れるのか
研究の背景
リーダーシップという言葉から、多くの人は「リーダーがフォロワーを導く」場面、または「リーダーがフォロワーの働きぶりを監視する」場面を思い浮かべます。リーダーは方向性を示し、メンバーを動機づけ、情報を伝え、監督し、チームをまとめる。つまりリーダーシップとは、リーダーが他者に影響を与える仕組みだと理解されることが多いでしょう。
この研究では、そこから少し視点を反転させます。リーダーは本当に、フォロワーを規律づける側にいるだけなのでしょうか。
リーダーとは、いわばガラス張りの個室で働くようなものです。その行動はチームから丸見えで、フォロワーはそれを見てから自分の動きを決める。だとすれば、リーダーになること自体が、リーダー自身の行動をフォロワーの観察と即時反応にさらし、リーダー自身を規律づけるのではないでしょうか。
たとえば、チームで長期間行う共同プロジェクトを考えてみます。リーダーが先に努力し汗をかき、その様子を見てフォロワーたちが努力するかどうかを決めるとします。このとき、もしリーダーが手を抜けば、フォロワーたちはそれを見て「では自分も頑張らない」と即座に反応できます。つまり、リーダーの手抜きは瞬時にフォロワーたちに認識され「努力で返さない」という罰を喰らうことになります。一方で、フォロワーたちはリーダーの行動を見てから手を抜くことができるため、リーダーの努力にただ乗りすることができます。リーダーからの罰、つまり「協力の終わり」は、「将来」の時点でしか与えられません。
本研究が注目するのは、この罰のタイミングの非対称性です。リーダーの行動はフォロワーが動く前からガラス張りで、手を抜けばその場で罰せられる。フォロワーはすでに投入されたリーダーの努力にただ乗りでき、その手抜きは将来の罰でしか抑えられない。リーダーシップは、単に人を動かす立場ではなく、自分の行動を他者の即時反応にさらす制度的な位置、まさにガラス張りの個室でもある。そこに、リーダーシップの「規律装置」としての働きがあります。
何をやったのか
二人チームの繰り返しゲームを考えます。各メンバーは毎期、努力するか手を抜くかを選びます。努力すればチームの成果は高まりますが、努力には個人的なコストがかかります。また、メンバーには二つの違いがあります。一つは能力、つまり努力したときにどれだけ大きな貢献を生み出せるか。もう一つは長期的視野、つまり将来の協力関係をどれだけ重視するか(忍耐と呼んでもいいでしょう)です。
比較するのは、二つのチーム構造です。一つは、二人が同時に努力を選ぶ水平的チーム。もう一つは、リーダーが先に動き、フォロワーがそれを見てから動く垂直的チームです。
水平的チームでは、どちらのメンバーも「相手が努力しているのに自分だけ手を抜く」誘惑を持ちます。この誘惑は、将来の(協力破綻という)罰の脅しによってしか抑えられません。これに対して垂直的チームでは、リーダーが手を抜くとフォロワーがすぐに努力をやめるため、リーダーの誘惑はその場で抑えられます。残るのは、リーダーの努力を見たあとに手を抜けるフォロワーの誘惑です。
したがって、リーダーを誰にするかという問題は、「誰を偉くするか」ではなく、誰の誘因制約を消すか(つまり誰をガラス張りの部屋に入れるのか)という問題になります。リーダーシップは、チーム内で規律づけ可能性を配分する仕組みなのです。
何がわかったのか
近視眼的な人こそ、リーダーにする
第一の結果は、直観に反して、近視眼的なメンバーをリーダーにする方が協力を維持しやすいというものです。
長期視野の人は、将来の協力関係を大事にするため、将来の罰によって比較的うまく規律づけられます。したがって、その人をリーダーにしてしまうと、リーダーシップの規律効果を「もともと規律づけやすい人」に使ってしまうことになります。むしろ、将来の罰が効きにくい人をリーダーに置くことで、その人の行動をフォロワーの即時反応にさらす。これが、規律としてのリーダーシップの基本的なロジックです。
能力の高い人は、むしろフォロワーで効く
第二の結果は、能力の高いメンバーはしばしばフォロワーに置く方がよいというものです。
これは、能力の高い人がリーダーに向いていない、という話ではありません。むしろ逆で、能力が高いからこそ、フォロワーに置いたときに強い規律効果を持ちます。フォロワーにはチーム内で唯一残る誘因制約があります。能力の高いフォロワーが手を抜けば、自分自身の大きな貢献を失うため、手を抜く誘惑が小さくなります。
反対に、能力の高い人がリーダーになると、フォロワーはすでに投入された大きな貢献にただ乗りできるため、フォロワー側の手抜き誘惑が大きくなります。したがって、リーダーシップの規律効果だけを取り出すと、能力の高い人はリーダーよりもフォロワーとして価値を持つことがあります。
「優秀だが近視眼的」は、タスク次第
現実には、能力と長期的視野が逆向きに動くこともあります。能力の高い人ほど外部からの引き抜きや転職機会が多く、現在のチームに長くとどまる見込みが低い(つまり近視眼的にならざるを得ない)かもしれません。この場合、高い能力はその人をフォロワーに置くことを要求しますが、長期的視野の欠如はその人をリーダーに置くことを要求します。
このトレードオフを決めるのが、タスクの性質です。二人の努力が噛み合う補完的なタスクでは、能力の高い人をフォロワーに置く価値が大きくなります。リーダーが努力したあとに、能力の高いフォロワーが努力することで、大きな相乗効果が生まれるからです。これに対し、一方の努力が他方の努力を代替する代替的なタスクでは、その利点が弱まり、気の短い優秀な人をリーダーにして規律づける方が望ましくなりやすいです。
ただし、リーダーが人を変えるなら話は変わる
ここまでの議論は、リーダーが「先に動き、観察される人」であるという側面だけを取り出したものです。しかし現実のリーダーは、フォロワーに影響を与えます。仕事の仕方、将来への向き合い方、目標へのコミットメントが、リーダーからフォロワーに伝わることがあります。
このような影響が十分に強い場合、結論は反転します。能力が高く、将来志向の強い人をリーダーにすれば、その特性がフォロワーにも波及するため、従来型の「優秀で長期的視点を持てる人をリーダーにする」配置が望ましくなります。つまり本研究は、「優秀な人をリーダーにするな」と主張しているのではありません。リーダーがフォロワーを変える力が弱い環境、またはリーダーとフォロワーとの交流による「影響の受け合い」が少ないような環境では、規律としてのリーダーシップが重要になり、強い環境では、影響力としてのリーダーシップが重要になる、ということです。
何の役に立つのか
昇進・人事への示唆
組織はしばしば、最も能力の高い人をリーダーに昇進させます。これは自然なルールですが、本研究は、そのルールが協力を損なう場合があることを示しています。問題は、昇進した人の管理能力が低いことではありません。能力の高い人をリーダーにすることで、その人を「規律づけが残るフォロワーの位置」から外してしまうことが問題なのです。
これは、いわゆるピーターの法則に別の読み方を与えます。優秀な人の昇進が失敗するのは、必ずしもその人がリーダーとして無能だからではありません。チーム内の誘因構造が変わり、協力を支えていた配置が崩れるからかもしれません。
チーム設計への示唆
リーダーシップの規律効果は、肩書きだけでは生まれません。問われるのは、リーダーの周りのガラスがどれだけ透き通っているか、です。行動が完全に見える透明なガラスなら規律は最も強く働き、輪郭しか見えない曇りガラスでも——完全な観察は必要なく、一定の透明度さえあれば——規律は働きます。逆に、行動がまったく見えない壁になってしまえば、形式的な階層があっても規律は失われ、チームは実質的に水平的なものへ戻ります。
また、監督や指示もリーダーシップの規律効果と代替関係にあります。フォロワーが自発的に協力しにくい場合、組織は監督コストを払って協力を引き出すことができます。しかし、監督という行為が難しく、高くつくなら、そもそも規律づけにくい人をリーダーの位置に置くことで、同じ問題をより安く解決できる場合があります。
おわりに
日常的には、「リーダーになった人が急にしっかりする」という観察があります。これはしばしば、責任感や自己成長として理解されます。本研究は、それに別の解釈を与えます。リーダーが変わるのは、リーダーという責任感から内面が変わるからではなく、その人の行動が他者の即時反応にさらされるからかもしれません。リーダーシップとは、人を動かす立場であると同時に、自分自身の行動を規律づけ可能にする立場でもあるのです。
本研究はJSPS科研費 24K04912 の助成を受けています。